こんにちは。おっくんです。今回も話題
の人を取り上げてみたいと思います。
今回は、舞妓さんとして活躍されている
八木寿仁葉(じゅには)さんについてで
、主に
・経歴
・舞妓になるまで
について取り上げたいと思います。
では早速、行ってみましょう。
目次
1.八木寿仁葉さんのプロフィールと経歴は?
出典元:https://www.bing.com/images/search
氏名:八木 寿仁葉(じゅには)
出身地:長崎県南島原市口之津町
生誕年:2002年
最終学歴:長崎県内市立中学校卒業
部活動:陸上部
以上は調査により、明らかとなった情報
です。
因みに部活動は、上位の成績を修めるほ
どの選手でおられたようです。
八木寿仁葉さんは上級学校に進学せず、
中学校卒業を機にすぐに舞妓の世界に入
られたようですね。
舞妓のような職人の世界ですが、現在は
それなりの学歴を持たれている人がなる
人もちらほら出てきています。
このような時代になった今において、中
学校卒業で入られるとは、舞妓の世界は
若いうちから修業を積むことが大切な世
界であると感じます。と同時に非常に厳
しい職人の世界であるのでしょう。
中学校卒業、とまだ世の中がどのような
ものなのかが殆どわからない年齢で社会
に出るだけでなく、舞妓と言う厳しい職
人の世界に入られるとは、なみなみなら
ぬ覚悟で入られたことと察します。期待
よりも不安だらけだったことでしょう。
そんな八木寿仁葉さんですが、陸上競技
においてそれなりの選手であり、上級学
校に進学などと年齢からしていくらでも
進路選択ができたことでしょう。その中
でなぜ舞妓と言う厳しい職人の世界に入
ろうとしたのかが気になるのではないで
しょうか?
八木寿仁葉さんが舞妓の世界に入ろうと
したきっかけについて、次に詳しく取り
上げたいと思います。
※(参考)数々の壁を乗り越え、自身の
夢をかなえようとしている女性として以
下の人も取り上げています。
↓
2.八木寿仁葉さんはなぜ舞妓に?
出典元:https://www.amazon.co.jp
きっかけは、小学校4年生の時に観た映
画「舞妓Haaaan!!!」※だそうです。
※上記の画像の映画です。
その時の舞妓の煌びやかさに憧れを抱い
たとのことです。
小学校4年生らしい憧れの理由ですね。
その映画をきっかけに将来は舞妓になる
ことを決意したとのことです。
そして決意だけでなく、実際に両親に京
都に連れて行ってもらう、茶道や華道を
自発的に学ぶようにしたとのことです。
大抵の場合は夢を描くだけで終わりにし
ますが、具体的な行動に移したところは
素晴らしいですね。憧れは本気度が高く、
生半可なものではなかったことが伺えま
す。
このように将来の夢に向けて積極的に取
り組んでいる八木寿仁葉さんですが、ご
両親にとっては複雑な心境だったようで
す。
それは、舞妓の世界の実情を聞いており、
この世界の大変さを知っていたからです。
確かにご両親として将来に向けて計画を
立てているのは嬉しかったことでしょう。
しかしながら、この世界できちんと認め
られる存在になれるか、ということで懸
念しておられたと思います。
どの職人の世界でもそうですが、本人の
実力だけでは、認められる存在になれま
せん。その実力を正当に評価してくれる
人に出会えなければ、その実力は埋もた
ままで下手するとその世界から退かなけ
ればならなくなることも有り得ます。
このような懸念も有り、ご両親は積極的
に取り組む姿勢は嬉しかったものの、舞
妓になることに反対の意見を持っていた
ようです。
現にお母様は、将来は結婚して一般家庭
の主婦として旦那様と家庭を築いて欲し
いと思ったようです。
ただ、八木寿仁葉さんの意志は固く、ご
両親の意見は受け入れなかったようです。
確かに舞妓になるために華道や茶道を自
発的に学ぶくらいですから、なみなみな
らぬ決意ですよね。反対の意見が有った
からと言って、素直に聞くはずは有りま
せん。
どちらが正しく、どちらが間違いという
のではなく、正論同士がぶつかり合って
いる状況にも感じます。
そんな反対の意見が有る中、どのように
して舞妓の世界に入って行かれたのかも
気になるかもしれません。その経緯につ
いて、以後話します。
2-1.舞妓になるまでに~両親からの承諾
舞妓になるまでも当然、順風満帆ではあ
りませんでした。いろいろな険しい状況
に幾度も出くわしています。
八木寿仁葉さんは中学1年生の夏になる
と、日本舞踊の稽古をするようになりま
した。1.プロフィールからも陸上部に
所属していたと書きましたが、部活動と
日本舞踊を掛け持ちしていたのです。
日本舞踊の稽古は舞妓になるためですが、
舞妓になるためには花街の置き屋に入門
しなければなりません。その入門手続き
をするためにはご両親の承諾が必要にな
るのです。
となれば、承諾を得られるようにご両親
を説得しなければなりませんね。
ただ、2.八木寿仁葉さんはなぜ舞妓に?
の部分でも書いたようにご両親は懸念し
ているため、すんなりと承諾はしてくれ
ませんでした。
それでも、八木寿仁葉さんは舞妓になる
ための並々ならぬ決意をご両親に伝えま
した。
その本気度がご両親に伝わり、花街の置
き屋への入門ができることとなりました
。
ただ、これは第一の関門を突破したにす
ぎません。越えなければいけない関門は
まだ続きます。
これについて、引き続き話します。
2-2.舞妓になるまでに~入門
八木寿仁葉さんは、「大文字」と言う置き
屋に入門することとなりました。
置き屋とは、女将さんと共に寝泊りしな
がら舞妓さんとして修行する稽古場兼寮
のようなものです。
八木寿仁葉さんは2016年春に京都に
ある5か所の花街を見学することとなり
ます。
そのうちの一つとして上七軒の「大文字」
と言う置き屋での入門を決めます。
入門ですので当然、審査を受けて合格し
なければなりません。
八木寿仁葉さんは早速、この「大文字」
へ入門を申し込みました。履歴書を書か
なければなりませんが、実に60回も書
き直したそうです。
60回も書き直すとは、かなりの熱の入
りですね。「大文字」が他の置き屋には
ない魅力的な場所だったように思えます。
翌2017年夏、この置き屋にて2泊3
日の体験入門に参加して、着付けや配膳
の手伝いをして女将さんに入門を認めら
れました。
但し、女将さんはよくよく考えてから入
門をするように、と返事を同年12月ま
で待ってあげたようです。
即ち、入門を辞退すると言う選択肢も与
えたのです。
長年厳しい職人の世界に身を置かれてい
る女将さんならではの優しさとも取れま
すね。一時の感情だけで将来を決めては
いけない、と言うメッセージだったと考
えます。
女将さんと言えども3日で八木寿仁葉さ
んのすべてが判るわけではありませんか
ら、もしかするとこの置き屋での修行は
向いていない可能性もないわけではない
と考えてのことでしょう。
その年の12月、八木寿仁葉さんは熟考
の末、「大文字」に入門を決めました。
そこで数々の厳しい修行を経て舞妓名:
勝貴さんとして、現在に至ります。
3.おわりに
以上で八木寿仁葉さんについて話しまし
たが、まとめると、
●小学四年生の時に観た映画を機に舞妓
の仕事に憧れを持つ
●中学生の時に陸上部に所属しながら、
舞妓として必要な素養を学ぶ
●中学卒業後、「大文字」と言う置き部屋
に入門して修行を積んでデビュー
です。
コロナ禍で旅行客が減り、舞妓としての
仕事は苦境に立たされておられるようで
すが、舞妓になるまでの大変さを思い出
してどうか、この苦境を乗り切って一段
と大きく成長した舞妓・八木寿仁葉さん
を見てみたいですね。
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